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道志川の上流「長又地区」で武道鍛錬に時間を費やした頼朝は、所持していた名刀を研ぎすまし、近くにあった石を切り付けたところ真っ二つに切り裂かれました。石英閃緑岩というみかげ石でできています。 この手前に頼朝が休んだというカブトに似た「兜岩」があります。
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清流室久保川(道志川支流)の川底に『的様』という一枚岩(1つの黒点を中心にして3重の白い標的の円紋を描き出した花崗岩(石英閃緑石))があります。 源頼朝がこの周辺で武道訓練をしたという伝説が残されており、村民に親しまれてきました。五穀豊穣と雨乞いの神様として石祠が建てられ、毎年4月に祭礼がおこなわれています。
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頼朝は山伏峠を越えて、この山に登り、きりきりと豪弓を満月のごとく引き絞り矢を放ち、矢はうなりをあげながら白井平・板橋・善之木の各集落の上を通過して、遠く一里(4km)も離れた神地まで飛び、見事に標的を射ぬきました。村びとが矢の根を拾い、頼朝公の武勇をたたえ、この矢の根をご神体とした矢の根神社を祀りました。
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源頼朝の豪弓伝説にあります。山伏峠を越えると、道志川に面した山鼻に「矢頭」と呼ぶ台地がありこの地で頼朝は、豪弓を引き絞って矢を放ったところ、遠く一里の山里を隔てた「神地」の矢先に達したといわれています。 |
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昔頼朝が富士の巻狩の折戸渡地内に大きな櫓を組み立てており、ここから室久保川の「的様」矢を放ったといわれています。この言い伝えにより「やぐら沢」・「的場」の地名が残ります。 |
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源頼朝が富士の巻狩りの帰り大室指まで馬に乗り馳せ下ったが、ここまでくるとワラジの紐がゆるんだので馬を止めて石に足をかけ紐を締めました。この時、かかとの跡が残った石が足型石です。
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神奈川県との境にある月夜野に子ッ沢(ねつさわ)という沢が有ります。源頼朝は馬に乗り一気に沢を駆け下りました。この時、川床にあったハラミダナという大きな石に馬蹄形の凹みをつけました。この足跡が残った石が馬蹄石です。
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